「オレってただ乗り?」 震災で広まった“不要不急”症候群

以下の日経ビジネスの記事を読んで思ったこと。

フリーライダー、ただ乗り、粘土層――。
このコラムでも扱ってきたテーマではあるが、これらはすべてその人に対して周りが抱く主観的な印象でしかなかった。
裏を返せば、その人の本当の仕事の価値や、その人の仕事ぶりというのは、他人からは判断のつきにくいものなのだ。
ところが、3月11日以降、事情が少々変わってきた。
「あれ? オレって、ひょっとしてただ乗りだったのか?」
自分の仕事の価値に、自分の存在価値に、こう疑問を感じてしまった人たちがいる。
「不要不急の仕事、つまり、重要でも急ぎでもない仕事の場合、会社に来なくていい」と、会社から自宅待機の指示を受けて、「オレの仕事は不要不急なのか」とショックを受けたというのだ。
自分は重要な仕事をやっていると思い込んでいたが、どうやらそうでもない“らしい”。

私なら自宅待機指示されたら喜んで待機します。

 誰だって、自分の価値を、自分の存在意義を感じていたい。仕事があるだけで、自分が重要な仕事をしていると思うだけで、その欲求は満たされる。自宅待機という行為は、「自分の仕事には不要不急なものしかない」ことを認めることであり、それは社内失業していることを認めることでもあるように感じたから、家にジッとしていることができなかったのだ。

「10の仕事があったとしましょう。10人の社員で公平に分配して1つずつ仕事をやるのと、2人の社員がそれぞれ3つずつやって、残った4つの仕事を8人でやるのとでは、どっちが効率的だと思いますか。一見、10人で1つずつやった方がいいと思うかもしれませんけど、現実には後者が効率的な場合の方が多いんです」

私は残りの8人だな。役に立てているなら幸いです。

自分のいる意味を問うのはしんどい作業だ。仕事の場合はなおさらだろう。だが、もし「オレの仕事って不要不急なのか」と疑問を感じてしまったのなら、今こそ、目の前の仕事に正面から向き合い、それに価値を持たせられるような働き方をすることだ。意味を見いだすのではなく、意味を問い続ける。その方が重要なのではないだろうか。
 それができない人は、それほど遠くない将来、残念ながら存在価値を失い、それができない人が「いらない」と烙印を押されてしまうことだろう。

まさしく、今の会社に自分の存在意義はあるのかについて考えている。このままでは窓際→存在意義なしになりそうだ。自分の得意なところが生かせる職場に移らないと駄目だな。

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